こんにちわ!HAJIMAです!

本日2017年8月15日は72回目の終戦記念日です。

8月は原爆の日もありますし、戦争にまつわる日が多いですよね。

ちょうどお盆も重なるので、人の命についても色々考えさせられます。

 

本日放送の「徹子の部屋」では世界的に有名な戦場カメラマンだった沢田教一の妻

沢田サタさんが出演されます。

 

戦争について色々考えさせられる回になりそうですね。

今回はそんな沢田教一さんとその妻である沢田サタさんについて

ご紹介したいと思います。

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沢田教一経歴プロフィール

沢田教一さんは1936年2月生まれ。

もし現在まで生きていることができれば、8月現在では80歳になられているはずでした。

青森県の青森市に生まれ育った沢田教一さん。

中学生時代に新聞配達のバイトをしながら家計を助けていたようですが

そのバイト代で購入したボックスカメラが写真と沢田教一さんが出会うきっかけになったようです。

 

高校を卒業した後に写真店で働き始めた沢田教一さん。

このときに世界的写真家の「ロバート・キャパ」さんや「アンリ・カルティエ」に影響を受け

憧れを抱くようになったようです。

また沢田教一さんの代名詞であり愛用していたカメラである

「ライカ」も二人への憧れから購入を決めたようです。

 

24歳のときに青森から上京し、UPI通信社に入社。

もともと戦場カメラマンに強い憧れを抱いていた沢田さん。

 

当時はベトナム戦争の真っ最中だったので、戦場カメラマンとして

ベトナムに行く機会を伺っていました。

 

そんななか、知り合いの口利きもあり

熊本日日新聞、信濃毎日新聞など、いくつかの新聞社から取材費を出してもらい

休暇を取って自費でベトナムへ行く機会を得ました。

 

その熱意やそのときに撮った写真が評価され、UPI通信社のサイゴン支局へ異動することになり

戦場カメラマンとして本格的にベトナム戦争を取材することとなります。

 

その取材のときに代表作となる「安全への逃避」が撮影され、

この作品がハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、ピューリッツァー賞を受賞したことで

沢田教一さんの名前が広く世界に知れ渡ることになったのです。

 

戦場カメラマンとして何度か危険な目にもあった沢田さん。

ベトナムで当時大きな勢力を持っていた「ポル・ポト派」に拘束されたこともありました。

 

危険な目に遭いながらも、カメラを手放すことは絶対にしませんでした。

しかし1970年、当時沢田教一さんが34歳のときにカンボジアの首都プノンペンを撮影中に

何者かの銃弾を受け、異国の地で帰らぬ人となってしまいました。

 

戦場カメラマンがどれほど危険なことか、身をもって証明する形となってしまいましたが

その後、沢田さんのドキュメンタリー映画が作られるなど

亡くなってもなお、多くの人の心に戦争とは何かを問い続けています。

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沢田教一さんの妻、沢田サタさんとは?子供はいる?

沢田教一さんと、妻の沢田サタさんが出会ったのは

高校を卒業して、地元青森の写真館で働き始めたときでした。

 

沢田サタさんは現在御年92歳ということで、沢田教一さんより11歳も年上の姉さん女房だったのです。

もともと英語が堪能で教養があった沢田サタさん。

 

当時英語が話せるということは、大分いいお家柄の出身なのではないかと推測されます。

 

1956年、沢田教一さんが20歳、サタさんが31歳のときに二人は結婚します。

もともと妻のサタさんもアマチュアカメラマンとして活動していたこともあり

夫の戦場カメラマンとしての夢に理解があったようです。

 

沢田さんとともに上京し、ベトナムにも一緒に行き

ともに戦争を間近に見て、夫である教一さんを支え続けていました。

 

間近に戦争を見ていたということは、夫の身にいつ何があってもおかしくない

という覚悟をしていたということでしょうね。

 

とても強い精神力だと思います。

管理人はいくら、夫の夢だといっても到底応援できそうにありません。

 

教一さんがさまざまな名誉な賞を受賞したのも

妻である沢田サタさんの支えがあってこそなんでしょうね。

 

しかしいくら覚悟をしていたとはいえ

最愛の夫を34歳の若さで亡くした悲しみは、言葉にできな辛さだったでしょうね。

 

夫がいつ亡くなるか分からないという中だったために子供さんは作らなかったようですね。

やはり、それだけ夫が戦場でいつ何があってもおかしくないという覚悟をしていたということだと思います。

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沢田サタのレストランは?

沢田教一さんの妻、サタさんは92歳というご年齢ながら

「グルメさわだ」というレストランをやっているんだそう。

とってもお元気で素晴らしいですね。

やっぱり戦争を経験している方は気合いが違う気がします。

 

ご高齢ということもあってご飯を作るのが大変なので

一日一組しか入れないんだそう。

もし沢田サタさんのご飯を食べてみたければ

予約は必須のようですね。

 

沢田教一さんはフリーメーソンだった?

ちょっとオカルトめいた話になってしまいますが

フリーメーソンという団体はご存知でしょうか?

 

よく都市伝説などで語られる団体ですが、謎のよく分からない友愛結社、秘密結社で

「世界を統一しようとしている」

「世界を裏で操っている」

などとオカルトチックな噂が絶えない組織ですが

 

沢田教一さんは23歳のとき、上京する前に青森にあるフリーメーソンのロッジで

フリーメーソンの会員になっていたんだそう。

 

日本でも鳩山由紀夫元総理大臣がフリーメーソンだったとか

芸能人がロッジの会員だとか言われていますが

 

いったいどんな組織なんでしょうね。

 

やりすぎ都市伝説というTV番組で大々的にフリーメーソンが取り上げられ

オカルトチックな扱われ方をした影響もあってか

 

あんまりいいイメージのないフリーメーソンですが

日本のフリーメーソンのグランドマスターと呼ばれる方がいうには

「主に社会的な奉仕活動をしている」んだそう。

 

社会奉仕活動っていうところが怪しさ満点な感じがしますが

結局いったいどんな組織なのか良く分かりませんね~

 

沢田教一さんの活動そのものとフリーメーソンはあまり関りがないと思いますが

ちょっと管理人的に気になったので調べちゃいました。

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