こんにちわ!HAJIMAです!
最近芸能界での訃報が多いですね。
つい最近、ドラえもんの声を演じていた大山のぶ代さんの夫である
砂川啓介さんの訃報を聞いたばかりでしたが
また芸能界で活躍していた大物作曲家である、平尾昌晃さんがお亡くなりになってしまいました。
平尾昌晃さんといえば、「ラブレターフロムカナダ」がとっても有名な曲ですよね~
数年前までTVでもよく平尾昌晃さんを見かけていましたし
音楽番組などで「ラブレタ~フロムカナダ~~♪」というフレーズもよく聞いていたように思いますが
最近TVでお見掛けすることは極端に減っていましたね…。
そして今日の訃報を受け、もう平尾昌晃さんと畑山葉子さんが歌う
あの名曲が聴けないと思うと、寂しい気持ちでいっぱいです。
平尾昌晃経歴プロフィール
平尾昌晃さんは東京府東京市、現在の東京都新宿区生まれです。
ちょうど日中戦争が始まったばかり1937年生まれで
その2年後の1939年から、第二次世界大戦が勃発しています。
まさに戦争のさなかに生を受けたんですね。
祖父は化粧品メーカーの社長で、国立音大卒の叔父を持つなど
とっても裕福な家柄に生まれた平尾昌晃さん。
幼い頃からジャズが大好きな子供だったんだそう。
第二次世界大戦に敗戦したあとは
千葉県茅ヶ崎市に引っ越し、小学校、中学校は湘南ですごしたそうです。
その後慶応義塾高等学校へ進学しますが、すぐに中退してしまいます。
幼いころから好きだったジャズ教室に通っていて
ジャズ喫茶でステージをしていたときにスカウトされ、芸能界入り。
そして、ミッキーカーチス、山下敬二郎とともにロカビリー三人男として大ブレイク。
今から考えると、そうそうたる面々ですよね💦
その後作曲家としても活躍し、五木ひろしの「よこはまたそがれ」などたくさんの歌謡曲が大ヒット。
平尾昌晃さんの作曲した曲が、レコード大賞や日本歌謡大賞などを受賞する快挙を成し遂げました。
1974年には平尾昌晃ミュージックスクールを創立し、さまざまな生徒を輩出。
なんとあの倖田來未や後藤真希さんもこちらのスクールに所属していたんですよ。
平尾さんの印象的な曲である「ラブレターフロムカ~ナダ~♪」の曲を一緒に歌った
畑山葉子さんはこちらのスクール出身の方だったようですね。
またモノマネ審査員としても活躍しています。
管理人はどちらかというと、このモノマネ審査員でTVに出ていた印象が強いです。
こうして経歴を見てみるとかなりすごい経歴の方だったということが分かりますね。
才能あるとっても惜しい方を亡くしました。
平尾昌晃の結婚や妻は?息子や子供は?
平尾昌晃さんは、モノマネ審査員の印象が強くて
優しそうなおじさんだな~と思っていましたが
実は恋多き男性として有名だったんですね。
平尾昌晃さんが初めて結婚したお相手はなんとなんと当時大学生。
ご結婚されたのが1972年ということで、当時平尾さんは34歳ですよね?
34歳と大学生というと13~16歳程度年齢が離れていたことになりますね💦
かなりの年下好きだったんですね~!
この初めの奥さんとの間には1人子供さんがいるようですが
一般の方のようで、詳しい情報は分かりませんでした。
その後この最初の奥さんとは離婚し、歌手の小沢深雪さんと再婚されますが
なんとなんとこれまた当時小沢深雪さんが19歳のときで、しかもできちゃった婚だったんだとか。
1978年に再婚をされているので、平尾さんは40歳あたり…
21歳くらいの差があったということですか!!
う~んバイタリティーがすごい…
とにかく若い方が好きな方で、恋多き方だったんですね(笑)
当時かなり稼いでいたのでお金持ちだったでしょうし
優しそうな方ですから、きっと女性が放っておかなかったんでしょうね。
小林深雪さんとの間にも子供さんがいらっしゃって
その一人が平尾勇気さんという方だということが分かっています。
平尾勇気さんも父親同様、作曲家としての才能があったようで
作詞作曲など、アーティスト活動をしています。
平尾昌晃の息子として二世芸能人としてバラエティーで活躍しています。
平尾昌晃の死因は肺炎?病気だったの?
平尾昌晃さんは最近あまりTVで見かけなくなっていたために
何かの病気だったのでは?と言われていたようですが
特になにかの疾患を患って治療中だったという情報はありませんでしたが
2015年に肺炎で緊急搬送され入院治療を行っており
大分危険な状態になってしまっていたことがあったようです。
肺炎が改善し、病院を退院した後も、体調はあまりすぐれなかったようで
今年の2017年のはじめには、酸素ボンベを持ち歩きながら
チャリティー活動をする姿がキャッチされていました。
79歳という高齢で、しかも体調があまりすぐれないのにも関わらず
他の方のためにチャリティー活動をするなんてとても素晴らしい方ですよね。
今回平尾昌晃さんがお亡くなりになった死因は肺炎だと言われていますが
若い頃に結核を患ったこともあり、肺はあまり丈夫ではなかったようですね。
酸素ボンベを持ち歩いていたということで、
もしかしたら肺炎を繰り返していたのかも知れません。
高齢者の肺炎は命に関わるものなので、本当に怖いですね。
しかし、最後まで自分らしく、チャリティー活動に精を出していた
とっても優しく素晴らしい方だったんだな~としみじみ思ってしまいます。
本当に惜しい方を亡くしました。
HAJIまとめ
こうして平尾昌晃さんのことを調べてみると
とっても才能に溢れていて、そして優しい方だということが分かりました。
自分が体調が万全でないのに、チャリティー活動が出来るなんて
本当に素晴らしい方ですね。
ちょっと、いやかなりの若い子好きということも判明してしまいましたが(笑)
そんなところも平尾昌晃さんの魅力なのかも知れませんね。
昭和の時代に活躍した才能ある方々が次々とこの世を去っていってしまうのは
とっても寂しいですね。
息子さんの平尾勇気さんも芸能活動をされているので
何かコメントを発表するのかも知れませんね。
ご冥福をお祈り申し上げます。